暗闇 ファッションのロマン吉忠


こんばんは。


東理紗です。
今日はみなさまに大切なお知らせがあって、このようにブログを書くことを決意しました。


この度、
わたくし東理紗は、
ピヨピヨレボリューションを
退団させて頂くことになりました。


急な発表でファンの皆様を驚かせてしまい、沢山の心配とご迷惑をおかけしてしまったこと、
改めてごめんなさい。


私は長い間、
自分の抱える脳の障がいと、
重度の心の病と、
自分のセクシャリティについて、
常に葛藤していました。


パワーワードの三連発でびっくりだよね!


わたしも自分で書きながら、他人事のような気持ちになってしまう瞬間がある。
でも、これは紛れもなく、わたくし東理紗の話です。
 

脳の障がいは生まれた時から、
心の病気は約2年前(生ハムと焼うどんの活動停止発表して)から、

わたしの中にあったもので、

脳の障がいと心の病気
のふたつに自覚を持てたのが、
ちょうど1年前のピヨピヨレボリューションの本公演「疫病神」の稽古期間中だったかな。

自分のセクシャリティについて自覚し出したのは、2年前くらいから。



だけど、この3つについて同時に書き始めると、自分自身が混同してしまいそうなので、
まずは「脳の障がい」と「心の病気」についてから書いていこうと思う。


わたしは昔っから
集団行動・集団生活が一倍苦手だったため、
小学校、中学校、高校のほとんどが不登校でした。


幼少期から、色々なことを誰かと合わせなくてはいけない状況に置かれることが
人一倍苦痛に感じてしまうタイプで、


なんでみんなで同じ服を着なくてはいけないのだろう?
興味のない授業も、選択できずに全員が受けなくてはいけないのだろう?
どうして好きなタイミングで学校に行くと怒られるのだろう?
どうして5分休みの時は誰かとグループにならないといけないのだろう?
移動教室の時に誰かと一緒じゃないと変な目でみられるんだろう?


なんで?
どうして?
おかしくない?


と感じることがそれはそれは多かった。


学校に行っても5分休みになれば女子トイレに駆け込んで、
次の授業のチャイムが鳴るまでずっと隅っこの個室トイレの中で、前髪をといてました。


文章にするとなかなかヤベー奴だな!おかげでわたしの前髪は、エブリデイアイロンしたてホヤホヤのバーコードみたいになってた。
濃い眉毛がコンプレックスだったのもあって、絶壁だったな。(心も前髪もね!☆)


特別「仲良くなりたい!」と思える人がクラスにいるわけでもないから
自分の机から一歩も動かないでいたら
「1人でいることが恥ずかしい…」と思ってる女の子が
わたしの机に寄ってくるんだよね。


別にわたしと仲良くなりたいわけでもなく、ただその5分休みの間「一人ぼっちで友達のいない子」に見られたくないがために、
ファンション的な感覚で自分を使われることもまぁまぁ多くて、
それすら気持ち悪く感じてしまってたので、
"頻繁にトイレに逃げていた"
という表現の方がしっくりくるな。


興味ない人と時間を過ごすくらいなら、自分の前髪といてる方が楽しかったんだと思う。


好きな事にはものすごく集中力があって誰よりも夢中になれるけど、
好きではない事に対してはどこまでも無関心だから、


好きになろう好きになろうと努力しても、気が緩むと違うところに意識が行ってすぐ注意力が散漫してしまうし


逆に好きな事に関しては、やめよう嫌いになろうと思っても
止められなくて時間を忘れて何時間でも作業できてしまう。


今思えば、自分の感性や感覚に対して、嘘をつけないのが、この障がいの良い面であり悪い面なのかもしれない。


だからこそ、学校に通わないわたしを見て
母とは毎日喧嘩を繰り返していた。
「学校に行きなさい!」と毎日怒鳴られ
その度に「行きたくない!」と閉じこもる日々。


ちなみに、家でも閉じこもっていたのは俄然トイレ。アイラブトイレ。
「学校に行きなさい!」と叩き起こされたくなくてトイレに布団持ち込んで寝てたこともあった。


ついには怒鳴られることがしんどくなって、よく学校に行くふりをしては、公園に行ったり、学校が終わるまでの間時間を潰したりしていた。


学校の先生からの電話でそれがバレると家にも居ずらいので
家出を繰り返したり、屋根に布団を敷いて寝ようとしたりもした。

(結局近所のおばちゃんに「お宅の屋根に布団が敷いてあるんだけど、ヒヤヒヤしちゃってしょうがないわ何アレ!」みたいな電話がうちに来たので片付けさせられて、しっかり寝れたことはない。)
 

それくらいわたしにとって学校は
窮屈で、不自由で、自分の居場所を見つけにくい所だったんだと思う。


世間一般では、不登校は逃げることで
「逃げることは良くない!」
「何事も向き合わなければ!」
「前を向いて歩け!」


と、まるで
逃げる=悪いこと・弱者・社会不適合
イコール「人としてダメ」「人として恥ずかしい」みたいな捉え方が蔓延してるけれど、

「逃げる」という行動は「立ち向かう」という行動と、同じくらいエネルギーを使う行為だと、わたしは思う。


前とか後ろとか関係なく、どこかに向かって走っていることに変わりはないのだ。

それを他者が見て、前か後ろかを決めつけて怒っているだけで、こちらとしてはいつだって一生懸命だった。

だから、不登校の子にはまず「逃げれた」ことを褒めてあげようってどこかの本で読んだな。
不登校だったからこそ、その言葉は私にとってものすごく刺さるものでした。


やはり遅刻して行くとクラスメイトには冷ややかな目で見られるし、
先生の中では悪評判で有名だし、
忘れ物もしょっちゅうで怒られたり、
毎回提出物すらも出せないとなると

学校に行っても、家に帰っても、
怒られる飽きられる軽蔑される傷つけるのエンドレスリピートで


ひどい時には母親が
「みんな理紗みたいになるなよ!」「そんなことしたら理紗みたいになるぞ!」と下にいる兄弟4人に
私を悪いお手本として怒っていたし

その影響で当然兄弟からも「理紗みたいにはなりたくない。」と言われたりしていた。


ちなみに私の母は、5人もの子供を持ちながら仕事と家事を全うするシングルマザーを貫いている身なので、
母のストレスを考えると、私の想像を超える努力をしていると思う。

今までも、今でも。

だから私のこの文章だけで母のことをあまり悪く捉えないでもらえると有難いな。

私は母のことを誰よりも尊敬しているし、
母が私のことを愛してくれてるのもわかっている。
その前提で、ただ過去の出来事を書いている、に過ぎないです。

話戻すね。



周りのみんなが「当たり前」のようにやっていることを、
自分も出来るようになれたらどれだけいいかと思い
何度も挑戦して、克服しようとしては、失敗を繰り返してきた。


「なんで自分は、みんなが当たり前のように出来ることが、当たり前にできないんだろう。」

常にそんな疑問を隣に添えては

「当たり前のことをできないのは、努力が足りないからだ!」
と自分自身を責め続けてきた。

自分をめちゃくちゃに否定する癖がついてるから、否定しないと私は生きてはいけない人間だと思っていたし、誰かに否定されないと安心できないと思う瞬間があったりと、
自己肯定力もゼロを下回って、マイナスいくつにまでなってたと思う。


マイナスいくつ…寒そうだね。


そんな小中高を過ごしていたわたしが、2015年に劇団ピヨピヨレボリューションに所属した。


自分の居場所が見つからなかった学校とは違い
劇団ピヨピヨレボリューションは、
大好きな信頼する仲間たちと
自分のやりたいことが出来る
そんな場所になった。


友達もあまりいなかった自分に初めて「仲間」と「居場所」が出来て
何度もその存在に救われてきたし、
今でも大切な存在に変わりはない。


けれど、

集団に所属しているからこそ、強いられた時間の中で生きなくてはいけないこと。

その時間を守れなかった時に、みんなの時間を奪う犯罪者のように見られてしまう時があること。
(正確には、劇団員が「遅刻をするという事は、人の時間を奪うという事で、万引きと一緒だから、犯罪なんだよ。」と私に教えることによって、私の遅刻を無くそうと協力してくれていたから、そこから私は遅刻するたびに自分を犯罪者だと思っていたし、周りもそういう認識だったんじゃないかなという話)

故に「失敗は絶対にしてはいけない」という価値観が刷り込まれ、大切な仲間に迷惑をかけないよう常に常に意識しなくてはいけないこと。

劇団関係の大切な連絡は、本人が相手からの連絡に気付いてなかったとしても、ツイッターなどのSNSを発信する前に、最優先で返信しないと怒られてしまう時があること。

劇団の看板を背負っているため(有難いことに"看板女優"という肩書きも頂いていた。)、何をするにしても「劇団の看板に泥を塗ってはいけない」というプレッシャーを抱えていること。

そのため、SNSで自由に自分の発言が出来なくなってしまったり、自分のやりたい個人の活動を躊躇ってしまうこと。

劇団外の仕事では常に自分だけではなく、"ピヨレボの劇団員"として見られていることを、視野に入れなくてはいけないこと。

劇団全体のイメージやバランスにより、髪型ひとつ自分だけの意思では変えられない環境なこと。

代わりの効かない職業なため、どうしても心を優先して休めない期間が発生してしまうこと。

など、「集団でのルール」とそこから派生して作られていった「自分の中でのルール」がどんどん増えていき
劇団員として活動していくことがものすごく苦しくなってしまった。


誰かから見れば、これらのことは当たり前のことで大したことではないと、言われるかもしれないね。
実際にこれらを当たり前のようにこなせる人たちのほうが圧倒的大多数なわけだから。


けれど私にとっては、これらのことは「明日から宇宙飛行士になってくださいね」と言われているのと同じくらい
無理難題に感じる、苦しいことだったんだ。


その苦しみの大きな原因が、
脳に障がいのあるADHDだからだ、
と知った時に


「今までこんなにも当たり前のことを出来なかったのは全部"病気"だったからなんだ」


とめちゃめちゃショックを受けた。


今まで怒られてきた全ての出来事に納得してしまい、
自分の今までの失敗の数々が点となり、
それらを結ぶと「病気」という漢字になってるように見えて、


絶望しました。


(ここでベートベンの「運命」がかかる。)


そんな、"ショックを受けてしまってる
自分"を見たとき
「私は障がいを持っている人に対して偏見があったのか…!?」
と追い討ちをかけるように更にショックを受けたのも覚えてる。


ダブルショック。
一回だけでも傷跡が治るのにかなり時間のかかる強烈顔面パンチを、二回おみまいされた感じ。
伝わるかな。


その時
「ああ、私は人に迷惑をかけないことを避けては生きれない人間なんだ」
と思ってしまい


その思考はものすごい速さで
「私は、生きているだけで人に迷惑をかけている!」
「存在しているだけで迷惑をかけている!」
「息をしているだけで迷惑かけている!」
とういう考え方に変わり、
あっという間に飲み込まれて、


私はベッドから一歩も出れなくなりました。


20年間生きてきて感じたことのない大きさの「恐怖心」に支配されたのです。


外に出ること、そこで人に会うことでさえ、怖くなってしまったのは、生まれて初めての体験でした。


脳みその中は常に
「真っ暗闇の宇宙のなかに、たった1人の私が、目隠しをされた状態で放り投げられてしまった自分」
のような感覚が続いていたし、
もちろん劇団員にも一切会えなくなってしまいました。


そんな時、私からの連絡の異変に危機感を感じた友達が、一番に察して駆けつけてくれました。


ほぼ1日中(10分に1度くらいのペースで)過呼吸を起こしては「こわい…こわいこわいこわい!」と泣きわめく私を、
親友は何度も「大丈夫だよ、大丈夫だよ」と背中をさすってくれたし

具合が悪くなって立てなくなってしまった私を担いで支えてくれたり、

吐き気が止まらなくなり食べ物は一切喉を通らなかった私にわざわざ口まで食べ物を運んで食べさせてくれたり、

返信をしなくてはいけないラインが来るたびに体の震えが止まらなくなってしまう私の代わりに、私の言葉を文章に変換して、ラインの返信をしてくれた。


"正常に息を吸って、息を吐く"


それがこんなにも、こんなにも難しいことなんだと、痛感しました。
本当に、生きることだけで精一杯でした。


そんな私を支えてくれた親友には、今でも感謝という言葉では表しきれないほど、感謝をしています。


ありがとう。(×無量大数)


そして、わたしがこんな状態になってしまった時期はといいますと、
ピヨピヨレボリューションの本公演「疫病神」の稽古期間中でした。


「一刻も早く直さなくてはいけない」
そう思えば思うほど症状は悪化するばかりで、
でも大事な劇団の稽古を、心の病気で休みたいなんて言えるはずもなく


そんなことをずっと考えていたら、
インフルエンザにかかりました。


こんな表現はあまり良くないのかもしれないけれど、インフルエンザにかかったとわかった時、神様に感謝しました。


これで稽古を休める!!!!やっと休める理由ができた!!!!!!
それだけで泣いてしまうほど安心したことを、今でも覚えています。


しかし、一週間ほど休んでインフルエンザが治った後も、私は相変わらず家から出れませんでした。


こうして稽古を休んでる間にも、どんどん本番は迫ってきます。
何日間休んでも、その現実とは裏腹に、物理的にも、精神的にも、
追い詰められていきました。


その頃、実は私には、交際していた彼女がいました。
そして、その彼女からは精神的DVを受けていました。


同性で初めて心から好きになれた人だったし、とても大切な存在でしたが
徐々に共依存関係になり、精神的DVを受けていた
と自覚するのは、もう少し後のお話。


看病に来てくれた親友の見た目がボーイッシュだったため、
わたしの家で親友と彼女が鉢合わせてしまい、勘違いした彼女によって映画で見たことのあるザ・修羅場が完成しました。笑えない。


その後精神的DVを受けてズブズブの共依存関係になってる私は、
何も悪いことをしていないのに、泣きながら彼女の足にしがみついて謝ったり

死をちらつかせる脅迫的な発言をされたので、38度の熱の中、冬の朝方外に出て彼女の家まで行こうとしたら意識が朦朧として中華屋さんのベンチで倒れてたり

書き出すとキリがないくらい、苦しかったエピソードが溢れ出してきてしまいます。

この他にもたくさんの苦しいことがあって、今だから思い出せるけれど、当時はそれを一つもおかしいと思えないくらい、頭が麻痺していました。


麻痺させないと、生きていけなかった、の方が正しいのかも。


修羅場事件が原因で何を言ってもわたしの言葉は信じてもらえず、
ただでさえ限界な私に、彼女は永遠と否定的な言葉を吐き続けた。


聞きながら過呼吸になるわたしに、
これでもかと言葉を吐くのををやめない彼女を前にして
一瞬意識がなくなり


わたしは、無呼吸になった。


本当に息が出来なくなってしまったのだ。


息を吸おうとしても吸うことが出来ず、
そのままパタリと倒れてしまう私を横目に
彼女は私の一人暮らしの部屋をでていった。


その数分後、流石にヤバイと思ったのか、部屋に戻ってきて、人工呼吸をしてもらったが
息を吸えるのはほんの一時的だけで、
その後無呼吸状態に戻ってしまうを繰り返していた。


「あー、私死ぬんだな。」
と初めて実感した。
なんなら、死んでしまってもいいとさえ、思っていたかもしれない。


よく、リストカットや首を吊ったり電車に飛び込んだり、いろんな方法で自殺した人の話を聞いたことがあるけれど
こんな風に、ショックのあまりに体が拒絶反応を起こして死ぬこともできるんだな、と思ったくらい。


本当にあの世とこの世を行ったり来たりしていたので、一刻も早く救急車を呼んでほしい、と仕切りに思っていたその次の瞬間、
無呼吸になったわたしを見て彼女は


「理紗をこんな風にさせてしまったのは全部わたしのせいだね。わたしがいなくなるね。」


と呟き大きな窓を開けて、4階の私の部屋の窓から、飛び降りようとした。


これが火事場の馬鹿力というんでしょうね。
それを見た私は、最後の力を振り絞って彼女を窓から引き剥がし
「あんた何考えてるの!?」
と怒鳴った気がするけど、ぶっちゃけその後の記憶がほとんどない。。。


その時は怒るとか悲しいとかの感情よりも、
「私は死ぬことでさえ許されないのか」
という気持ちでいっぱいになったことだけは覚えている。


彼女の言い分としては、こうすれば理紗の無呼吸が治るとおもったから、とは言っていたけれど
私が止められなかったらどうなっていたんだろうと思うと、
今でも怖くて仕方ない。


もしかしたら、飛び降りようとする彼女をみて、私は無呼吸を通り過ぎてショックで失神しそのままあの世に行ってたかもしれないし、
止められずに彼女が死んでしまっていたかもしれない。


そんな出来事があってから、私は恐怖に支配されていき、
幼少期から得意分野:自己否定で
「全ての原因は、私が重度の鬱病状態になって家から出られずに、稽古に行けないからだ!全部私が悪いんだ!」という解決の仕方をしだした。


なるほど、人前で感情を出してしまうと大変なことになるんだな、、
という大間違いな結論に辿り着き、
無意識のうちに自分で自分にマインドコントロールをかけることに成功していた。


そもそも役者という仕事は、知らない誰かになりきったり、知らない世界に入り込んだり、物語を信じたりするところから始まるというのもあって
私にとって自分自身へのマインドコントロールは、そう難しくなかった。


こうして、ただでさえ心が治ってない状態のまま無理矢理稽古に行ったわたしは
作品と、貰った役柄に没頭することだけが、唯一の逃避になっていった。


あの時期の私は、まさにステージの上でも、ステージの下でもキマっていた気がする。
正直稽古から本番期間までのほとんど記憶がない。
でも、役に没頭しないと、作品の中で生きないと、そうでもしないと生きるということが、やってられなかった。
ギリギリだった。


ただでさえ精神的DVにより、マインドコントロールを受けている私に
自分自身でもマインドコントロールを繰り返すわけだから

心が限界を超えていても
それを麻痺させて→無理をする
がもはや習慣になってしまい、

しっかりと治療をする時間をとれないまま、ここまで来てしまいました。




ご飯のメインディッシュが続くような、濃いめの内容の連続になってしまってごめんね。

ここらでトイレ休憩でも、水分補給でもしておくれ。





そんな風に生きていたものだから当然二度目の、お先真っ暗闇の宇宙放り込まれタイムはやってくるわけです。
前よりももっと大きくなって。


それが、ピヨラボ公演「SHOOTINGPAIN」の稽古3回目を終えたあたりでした。


シャー芯がポキンと折れるみたいに簡単に、取り返しのつかないレベルで心がぶっ壊れてしまったのを自覚しました。


この世には
「病気や障がいは治せる」という考え方の人もいれば、
「病気や障がいは治せない」という考え方の人もいます。


これに関して考えたときわたしは
どっちの考え方で生きた方が「自分の心が苦しくないのか」つまりは、


「病気や障がいは治せる」と思った方が生きやすいのか
「病気や障がいは治せない」と思った方が生きやすさに繋がるのか


なのではないかなと思いました。


そうなったときに
わたしは今まで心の病気も脳の障がいもまとめて、「治したい!治すべきだ!治せ!」と自分で自分を恐喝してきたことに気づきました。


さて、わたしは心の病気や、脳の障がいについて、どうやって捉えたら心が楽になるんだろう。


その時
「心の病気は治るけど、脳の障がいは治らない」
と考えることが、わたしは一番希望を持てるんだな、という一つの結論がでました。


実際、いろんな人の協力もあって、障がいや病気によって人に迷惑をかけてしまうことを、防げるようになった瞬間もありました。

失敗を繰り返さないために、対策をいくつも試して、ベストなものを無理矢理自分に癖付ける、という方法です。

しかし癖付いても、何故か嬉しいという感情よりも
"苦しい気持ちには変わりがない"
という感情が自分の中には常にありました。


結局、癖付けることにより欠点が治っても治らなくても、
そもそも自分の迷惑をかけてしまう部分を「欠点だ」と思ってしまってる時点で、苦しかったんです。


そこでわたしは
自分が欠点だと思う部分を治さなくてはいけない環境
その欠点を治せと言われる環境
治さなくては共存できない環境
に身を置くことを辞めようと、決断しました。
ようやく、決断することができました。


こうして私は
3年間お世話になっていた劇団ピヨピヨレボリューションを辞め、
精神的DVにより離れられなかった彼女とも断絶することができました。


私にとっては、ものすごく覚悟の必要なことだったので、決断するのに1年以上もの時間はかかりましたが、
今の選択に後悔はありません。


ピヨピヨレボリューションでは約3年間、数えきれないほどの事を学ばせてもらいました。
溢れるほどの愛を与えてもらいました。

かつての私にとっては素晴らしい環境であり、大好きな仲間と一緒に最高の作品を作れる、かけがえのないホームでした。

本当に「ありがとう」という言葉を言っても言っても、伝え尽くせないです。

その存在に、何度も何度も
支えられてきたこと、 学ばせてもらったこと、強くさせてもらったこと、救われてきたことは、事実です。


しかし、とっても大切が故に自己犠牲を働きすぎてしまったのも、事実です。


自分の傷に気づかないようにすることでやり過ごしたり、
その傷を忘れることでその場をしのいだり、
恐怖心を隣に置いては無理矢理心に鞭を打ったり、


そうやって立て続けに心の傷を見て見ぬ振りをし続けたことにより、
自分を大切にしなかったツケが回ってきてしまったようです。


もう誰かを大切にすることによって、自分を削ったり傷つけるようなやり方はやめて、

自分を大切にすることによって、誰かのことも大切にできるような人になりたいと強く思いました。


これからは
「自分を大切にするために」
そして、
「自分をの人生を生きるために」
どうすればよいのか焦らずにゆっくりと考えていきたいです。


「誰かのために」生きるというのは
同時に
「誰かのせいに」して生きるということだからね。


わたしという人間の価値は、わたしが決めていいんだよ。
と日々言い聞かせております。





ちなみに、ここにきてやっと、
さっきからわたしが仕切りに恋人のことを「彼女」という書き方をしてたことについて触れたいと思います。


タイトルにも"カミングアウト"と書いてあるため、薄々お察しの方もいると思いますが
私は、パンセクシャルです。


私の口から説明するよりも
もっとわかりやすく説明してくれる記事がネットには沢山溢れているので
「パンセクシャルってなんだろう…」
と少しでも興味を持った方がいたら、そういう記事を読んでみてください。




簡単に説明すると、
バイセクシャルとはちょっと違くって

バイセクシャルは、
男性と女性の両方が恋愛対象や性的対象になる人のこと
つまりは【両性愛者】のことなんだけれど

パンセクシャルは、
性別や無性別関係なく、人間であれば誰でも恋愛対象や性的対象になる人のこと
つまりは【全性愛者】であり【人類愛者】である人のことを指します。


私は、好きになった人がたまたま女だったり、たまたま男だったり、
そのどちらでもない性別だったり、そのどちらの性別も持ってる人だったりするだけ、
という考え方なんだけど


上手く伝えようすればするだけ難しくなっちゃう気がするから、
そういう名前の人たちが世の中にはいるんだ~程度で、今はいい気もするな。


最近私の周りでもカミングアウトする人たちが増えているけれど、
わたしはカミングアウト大推薦派!大賛成派!という考えではあまりなくて

自分のセクシュアリティについては
「伝えるべきか、伝えないべき」かではなく
それ以上に本人が
「伝えたいか、伝えたくないか」が、大切なんじゃないかと思っているんだ。


そんな中自分のセクシュアリティを
「伝えたいけど、伝えらなれない」という気持ちを抱えて苦しんでいる人は今でもたくさん、たくさんいるのも知っている。
私も少し前まではそのうちの一人だったから。


けれどわたしは、勇気を出して親友や母親にカミングアウトしてから、とても生きやすくなった。


簡単に理解してもらえることではないとわかっているからこそ話せなかったけれど
理解してもらえなくてもいい、これが私だ!
と思えたときに初めて話すことができた。


その時自分はこういう人なんだよ、という一部分を大切な人に「知ってもらえる」ことって
こんなにも気持ちが楽になるんだなということを実感した。


他人に対して「理解してほしい」という言葉は、相手に強要しているようで私はあまり好きではなかったりする。


なぜなら、他人のことを本当の意味で理解することなんて不可能だからだ。


だからこそ、理解はしなくていいから「知っていてほしい」と思うことはよくある。


突然、見たこともない得体の知れない真っ白な生物が現れたら、怖くて猛スピードで逃げ出してしまうけれど

本で見たり、人から聞いてある程度知っていたら「これが角の生えた馬…ユニコーンか…?」ときっと驚きはするけど、猛スピードで逃げたしはしないと思う。


このように
「知らない」と「知っている」では
こんなにも相手の捉え方が違う。

そして後者であればあるほど
「私はユニコーンじゃないからわからないけれど、ユニコーンという存在がいることは知っておくね」という捉え方ができたりする。


人はそれぞれ、なにもかもが違うということ。
そして、それでいいんだということ。


知らないことによって
差をつけて区別する「差別」をするんじゃなくて、

知ることによって
差をつけずに区別できる関係性が築けたらいいよなと思う。


異性愛者の人たちが、異性だからって理由で異性全員が恋愛対象になるわけではないのと一緒で、
パンセクシャルだからといって、人間なら誰でもいいのかって話ではないんだよとか

セクシュアリティをカミングアウトしたら一緒に温泉とか入るときに意識されちゃうのかなとか

「あいつゲイらしいよ!」と面白いネタのような感覚でセクシュアリティが話題に上がると胸が苦しくなったり

そういうセクシュアリティの人たちを「気持ち悪い」と言ってる人たちを目の当たりにして傷ついたり

変に誤解されたらどうしようと思えば思うほど、言えずに口を閉ざしてしまっていた。


そんな中わたしがカミングアウトしようと思ったのは
いろんな経験を経て「伝えたい」と思えるようになったから。


カミングアウトしずらい世の中を変えたい!
とか
カミングアウトが誰かの勇気になると思って…
なんていう耳障りのいい理由じゃなくって

こうやって世の中に発信することによって
「自分は自分のことを恥じずに伝えることが出来たぞ!」
とこの決断と行動を、自信に変えたいと思ったんだ。
誰かに認めてもらうんじゃなくて、自分で自分を認めるために。


自分が、変わるために。


正直、ここに書いてある全てのことを発表するのには、とてつもなく勇気がいった。
もっと早くブログを更新したいのに、出来なくって、書いたり消したりを繰り返していた。


だけど、今までたくさん自分に嘘をついて生きてきたからこそ、
今度はもう自分に嘘をついて生きたくないと思えた。


世界中の人たち全員に嫌われても、私が私であることに胸を張れればそれでいいと、私が私のことを好きでいてあげれればそれでいいと、思えた。


私のバイセクシャルの友達が、
"最近自分には性欲がない"というのを
「最近私、アセクシャルなんだよねー」と表現していたのを見て、

他の友達はその言い方は良くないんじゃない?などと注意をしてたけど

わたしは、その表現いいなぁと思った。


今日はこんな洋服を着たいな
今日はこんな所に行きたいな
今日はこんなご飯を食べたいな
と日々思考が変わっていくみたいに


今日は女の子と一緒にいたいな
今日は男の子と眠りたいな
今日は男とか女とか性別の枠にハマらない自分でいたいな
と、セクシュアリティだってもっと柔軟に変わっていって良いのだと思う。


「自分はこういう人だ!」
と明確化することは、
同時に自分が何者なのかハッキリとしていてとても安心する。

私もカミングアウトしてる時点で、自分を明確化しているしね!


けれど同時に
「自分はこういう人だから!」
と"自分"という名の枠にハマってしまって苦しい時期もあった。


好きな自分でいることは
"自分"という枠にハマることではなく

変わっていく"自分"をその都度その瞬間、認めてあげることだと思う。

枠にハマるのではなく、その時の自分に合う枠に、ころころと変えていくのだ。


人間は「感情」を持っている時点で一貫性のない生き物だ。

常に忙しく感情が揺れ動いて
楽しい!と思ってたのに1秒後には寂しい…って思ってたり、ずーっと同じ感情でいることなんてない。


だから最近の私は、
セクシュアリティも感情に近い物だと扱うようにしている。


私が今まで異性愛者だったのが
実はパンセクシャルだったと気づいたみたいに
明日になったら新たにセクシュアリティだって変わってるかもしれない。


そうやって、新しい自分に出会えるかもしれない可能性に、常にワクワクしていたい。


だからパンセクシャルだと公言していながらも、最終的に

私は「東理紗」という名前の性で
私という人間そのものが
オリジナルの性別なんだな!
と思うようにしてる。


名前や国籍だって変えられないものだと思っていたけれど
今では変えられる時代になっている。

顔や性別だって変えられないものだと思っていたけれど
今では変えられる時代になっている。


もちろんその全ては簡単なことではないし、精神的にも身体的にも金銭的にも、とてつもない労力を使うことはなんとなくだけど知っている。


ただ、変えようと思えば、変えられる世の中にシフトチェンジしているからこそ
変わらないものはロボットやAIや機械で、
変わり続けられるのが、人間なんだと思う。


そして、それが人間として生まれた特権だと思うようになった。




渋谷を拠点とした巫女のアイドルから始まり、
セルフプロデュースで2年で3000人をも集められる個性派アイドルになり、
劇団の看板女優を背負い主演続きの舞台を経験し、
性別にとらわれない恋愛を経験し、


さて、この次の私は、どんな私になるのだろうか。


私でさえ想像がつかない!
でも、今はそんな自分でいることがとてつもなく楽しい。


正直まだ精神的DVの後遺症で、発作や過呼吸を起こしてしまったり、
フラッシュバックが起きてパニックになったりすることはある。


先日のまおさんとのトークイベント「まおさんタイマン#1」の時も、覚悟はしてたものの、物販の時のファンの人の一言にものすごい傷ついちゃって

終演後楽屋で過呼吸を起こして、終電間際まで魂が抜けたみたいに動けなくなっちゃったりもした。


まだまだ心の病気も治し途中だし
脳の障がいとも付き合い途中だけど


それでも私は、
ステージの上に立つことが
なによりも好きみたいだ。


日常的に自分を表現しずらかったからこそステージの上だけが嘘偽りない私でいれる場所だったし
気付けば、誰よりも何よりも、手放せないものになっていた。


今はこのステージに対する私の執着のような、執念のような、もはや愛情のような、確固たる意志に救われているような気がします。


時間はかかってしまうかもしれないし、
まだ「完全に復活しました!」とは言い切れないけれど


少しずつでも、また大好きなステージに戻ってこれるようになりたいな。


そのために今は、一旦ステージから離れて、
家で作詞作曲をしたり、宮古島に旅行に行ってみたり、髪をバッサリ切ってみたり、自分のためだけに時間を使うということを実践しています。


そんなわけで、
長くなが~くNAGAKUなってしまったけれど、


今まで
ピヨピヨレボリューションの東理紗
を応援し、愛してくださった全ての皆様、
3年間、ありがとうございました。


そして、今まで共に歩き、共に支え合い、共に戦ってきた、ピヨピヨレボリューションとピヨピヨ×××の皆様、

3年間、お世話になりました。

本当にありがとうございました。



これからも輝き続けるピヨピヨレボリューションを、
どうぞ宜しくお願い致します。




またいつか、ライブでお会い出来る日を目指して!




東理紗

P.S.
新曲【カチ価値カチ】

あなたの暗闇を見てあなたを見つけてくれる人は必ずいます。

私「すみません〜ん!すみませ〜ん!」

私は、会計を済ませる為にカウンターに向かいましたが、店員さんの姿は何処にも無かったのです。

私以外に客は居ないのか、静まり返った夜のカラオケ店…、

そこは、まるで、間違って迷い込んだゴーストタウンの様に、奇妙な空気が漂っていたのです。

私(忙しいのかな?だけど私以外に客が居る気配はないけど…)

ふと見ると、カウンターには汚れた食器類が所狭しと放置されたままです。

そして、そのカウンターの先に目をやった私は、驚愕しました❗️

カウンターの延長線上に、2歳の女の子が、暗く寒い中、独りぼっちで座っていたんです。

その手には、携帯型のゲーム機が握らされ、暗闇の中で異様な光を放っていました。

その女の子は、未婚で出産した店員さんの子供で、時々、店に連れて来ていたので、私にも馴染んでいました。

しかし!
以前の屈託の無い明るい表情とは違い、何処か冷たく、子供とは思えない程の異常な雰囲気を纏っていたんです。

私「お母さんは?居ないの?」

女の子「…、」

反応がおかしい…、
明らかに、以前とは様子が違う…、

私は再度、優しく声を掛けてみました。

私「お母さんは?」

女の子は、無言のまま、背後(バックヤード)の方へ、一瞥するかの様に視線を向けました。

私(バックヤードに居るんだな…、

でも、こんな幼子を、高さもあり狭いカウンターに、独りぼっちで座らせて、放置しているのは、何故?、怪しい…)

この子にとって、このカウンターは、降りる事が出来ない程の恐怖の場所である事は間違いありません。

母親である店員さんは、この子が降りる事が出来ない様に、ワザとこの場所に座らせているのです。

私(間違いなく怪しい…、臭う…、
見てはいけない光景が、繰り広げられている気配がする…)

私は、長年の勘で、バックヤーという密室で、淫靡な行為が行われていると直感しました。

私「すみませ〜ん❗️居ますよね〜⁉️そこに❗️💢」

私は、静寂を切り裂く様に、大声で叫びました。 

それでも、誰も出て来ません。

奴等がフィニッシュする迄、待たされている時間は、私にとってのタイムロスです。

苛々した私は、会計を放棄して帰ろう、とした次の瞬間❗️

その店員さんと、新顔の若い男性店員が、仲良く現れたのです。

二人は平静を装っていましたが、ついさっきまで合体していたであろう淫らな余韻が、如実に現れてました。

私「あら?お二人の邪魔をしたかしらぁ?」

二人「…、」無言でスルーしています。大した玉です。

しかし❗️仕事も子供も放置し、就業時間内に、店内でセックスに溺れ耽っている二人に、怒りが込み上げて来ました。

私は、若い男性店員と肩を並べて、しれっと立っているバカ母親店員に、ブスリ❗️と釘を刺しました。

私「若いから気持ちは分かるけど、一番に母親をしてあげてね❗️💢」

その言葉に、我に返ったのか、一目散に子供の元へ駆け寄り、抱き上げる店員さん。

母親の暖かい胸に、小さな頭を埋もれさせている女の子。

その顔は見えませんでしたが、きっと、悲しさと嬉しさが入り混じった涙が、滲んでいたのでは無いかと思います。

私は、若い男性店員の左手の薬指に、指輪があったのに気付きました。

私(彼女、また不倫しているのね…、呆れた。いい加減に学習しろよ…)

私は、3人のそれぞれの姿を背後に、カラオケ店を出ました。

だけど…、
私が帰った後、再び子供をカウンターに乗せ、誰も居なくなった店内で、思いっ切りハジけた第◯ラウンドが開始した可能性はゼロでは無い…、

あの子は、マトモには育たないだろう…、もしかしたら、あの馬鹿ヤンママ店員も、そんな母親に育てられたのかも知れない…、

ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘

昨今のニュースで、内縁の夫が、妻の連れ子を虐待死させた事件が相次いでいますが、そのケースの母親は、男が出来ると、母親である事よりも女が優先される肉食系ホルモン女なのでしょう。

ただ…、店内がラブホ化している背景には、管理職不在という環境も関与しています。

昨今のユーチューブでのイタズラ動画にしても、経費節減の名目で管理者不在という環境は、バイト達にとって無法地帯となり、トラブルの元凶となっているのです。

人は、人の目が無い所では、誘惑に負け、悪い事をやるのです。
管理者は、性善説を過信してはいけません。

もし、どうしても人手不足で、複数店舗を掛け持ち店長しなければならないのなら…、

防犯カメラを設置して下さい。

野生の本能剥き出しの、興味深い動画が撮れる事、間違いなしです。
(^_−)−☆

楽天市場は宝の山!!暗闇のすべてがここにある。


こんばんは。


東理紗です。
今日はみなさまに大切なお知らせがあって、このようにブログを書くことを決意しました。


この度、
わたくし東理紗は、
ピヨピヨレボリューションを
退団させて頂くことになりました。


急な発表でファンの皆様を驚かせてしまい、沢山の心配とご迷惑をおかけしてしまったこと、
改めてごめんなさい。


私は長い間、
自分の抱える脳の障がいと、
重度の心の病と、
自分のセクシャリティについて、
常に葛藤していました。


パワーワードの三連発でびっくりだよね!


わたしも自分で書きながら、他人事のような気持ちになってしまう瞬間がある。
でも、これは紛れもなく、わたくし東理紗の話です。
 

脳の障がいは生まれた時から、
心の病気は約2年前(生ハムと焼うどんの活動停止発表して)から、

わたしの中にあったもので、

脳の障がいと心の病気
のふたつに自覚を持てたのが、
ちょうど1年前のピヨピヨレボリューションの本公演「疫病神」の稽古期間中だったかな。

自分のセクシャリティについて自覚し出したのは、2年前くらいから。



だけど、この3つについて同時に書き始めると、自分自身が混同してしまいそうなので、
まずは「脳の障がい」と「心の病気」についてから書いていこうと思う。


わたしは昔っから
集団行動・集団生活が一倍苦手だったため、
小学校、中学校、高校のほとんどが不登校でした。


幼少期から、色々なことを誰かと合わせなくてはいけない状況に置かれることが
人一倍苦痛に感じてしまうタイプで、


なんでみんなで同じ服を着なくてはいけないのだろう?
興味のない授業も、選択できずに全員が受けなくてはいけないのだろう?
どうして好きなタイミングで学校に行くと怒られるのだろう?
どうして5分休みの時は誰かとグループにならないといけないのだろう?
移動教室の時に誰かと一緒じゃないと変な目でみられるんだろう?


なんで?
どうして?
おかしくない?


と感じることがそれはそれは多かった。


学校に行っても5分休みになれば女子トイレに駆け込んで、
次の授業のチャイムが鳴るまでずっと隅っこの個室トイレの中で、前髪をといてました。


文章にするとなかなかヤベー奴だな!おかげでわたしの前髪は、エブリデイアイロンしたてホヤホヤのバーコードみたいになってた。
濃い眉毛がコンプレックスだったのもあって、絶壁だったな。(心も前髪もね!☆)


特別「仲良くなりたい!」と思える人がクラスにいるわけでもないから
自分の机から一歩も動かないでいたら
「1人でいることが恥ずかしい…」と思ってる女の子が
わたしの机に寄ってくるんだよね。


別にわたしと仲良くなりたいわけでもなく、ただその5分休みの間「一人ぼっちで友達のいない子」に見られたくないがために、
ファンション的な感覚で自分を使われることもまぁまぁ多くて、
それすら気持ち悪く感じてしまってたので、
"頻繁にトイレに逃げていた"
という表現の方がしっくりくるな。


興味ない人と時間を過ごすくらいなら、自分の前髪といてる方が楽しかったんだと思う。


好きな事にはものすごく集中力があって誰よりも夢中になれるけど、
好きではない事に対してはどこまでも無関心だから、


好きになろう好きになろうと努力しても、気が緩むと違うところに意識が行ってすぐ注意力が散漫してしまうし


逆に好きな事に関しては、やめよう嫌いになろうと思っても
止められなくて時間を忘れて何時間でも作業できてしまう。


今思えば、自分の感性や感覚に対して、嘘をつけないのが、この障がいの良い面であり悪い面なのかもしれない。


だからこそ、学校に通わないわたしを見て
母とは毎日喧嘩を繰り返していた。
「学校に行きなさい!」と毎日怒鳴られ
その度に「行きたくない!」と閉じこもる日々。


ちなみに、家でも閉じこもっていたのは俄然トイレ。アイラブトイレ。
「学校に行きなさい!」と叩き起こされたくなくてトイレに布団持ち込んで寝てたこともあった。


ついには怒鳴られることがしんどくなって、よく学校に行くふりをしては、公園に行ったり、学校が終わるまでの間時間を潰したりしていた。


学校の先生からの電話でそれがバレると家にも居ずらいので
家出を繰り返したり、屋根に布団を敷いて寝ようとしたりもした。

(結局近所のおばちゃんに「お宅の屋根に布団が敷いてあるんだけど、ヒヤヒヤしちゃってしょうがないわ何アレ!」みたいな電話がうちに来たので片付けさせられて、しっかり寝れたことはない。)
 

それくらいわたしにとって学校は
窮屈で、不自由で、自分の居場所を見つけにくい所だったんだと思う。


世間一般では、不登校は逃げることで
「逃げることは良くない!」
「何事も向き合わなければ!」
「前を向いて歩け!」


と、まるで
逃げる=悪いこと・弱者・社会不適合
イコール「人としてダメ」「人として恥ずかしい」みたいな捉え方が蔓延してるけれど、

「逃げる」という行動は「立ち向かう」という行動と、同じくらいエネルギーを使う行為だと、わたしは思う。


前とか後ろとか関係なく、どこかに向かって走っていることに変わりはないのだ。

それを他者が見て、前か後ろかを決めつけて怒っているだけで、こちらとしてはいつだって一生懸命だった。

だから、不登校の子にはまず「逃げれた」ことを褒めてあげようってどこかの本で読んだな。
不登校だったからこそ、その言葉は私にとってものすごく刺さるものでした。


やはり遅刻して行くとクラスメイトには冷ややかな目で見られるし、
先生の中では悪評判で有名だし、
忘れ物もしょっちゅうで怒られたり、
毎回提出物すらも出せないとなると

学校に行っても、家に帰っても、
怒られる飽きられる軽蔑される傷つけるのエンドレスリピートで


ひどい時には母親が
「みんな理紗みたいになるなよ!」「そんなことしたら理紗みたいになるぞ!」と下にいる兄弟4人に
私を悪いお手本として怒っていたし

その影響で当然兄弟からも「理紗みたいにはなりたくない。」と言われたりしていた。


ちなみに私の母は、5人もの子供を持ちながら仕事と家事を全うするシングルマザーを貫いている身なので、
母のストレスを考えると、私の想像を超える努力をしていると思う。

今までも、今でも。

だから私のこの文章だけで母のことをあまり悪く捉えないでもらえると有難いな。

私は母のことを誰よりも尊敬しているし、
母が私のことを愛してくれてるのもわかっている。
その前提で、ただ過去の出来事を書いている、に過ぎないです。

話戻すね。



周りのみんなが「当たり前」のようにやっていることを、
自分も出来るようになれたらどれだけいいかと思い
何度も挑戦して、克服しようとしては、失敗を繰り返してきた。


「なんで自分は、みんなが当たり前のように出来ることが、当たり前にできないんだろう。」

常にそんな疑問を隣に添えては

「当たり前のことをできないのは、努力が足りないからだ!」
と自分自身を責め続けてきた。

自分をめちゃくちゃに否定する癖がついてるから、否定しないと私は生きてはいけない人間だと思っていたし、誰かに否定されないと安心できないと思う瞬間があったりと、
自己肯定力もゼロを下回って、マイナスいくつにまでなってたと思う。


マイナスいくつ…寒そうだね。


そんな小中高を過ごしていたわたしが、2015年に劇団ピヨピヨレボリューションに所属した。


自分の居場所が見つからなかった学校とは違い
劇団ピヨピヨレボリューションは、
大好きな信頼する仲間たちと
自分のやりたいことが出来る
そんな場所になった。


友達もあまりいなかった自分に初めて「仲間」と「居場所」が出来て
何度もその存在に救われてきたし、
今でも大切な存在に変わりはない。


けれど、

集団に所属しているからこそ、強いられた時間の中で生きなくてはいけないこと。

その時間を守れなかった時に、みんなの時間を奪う犯罪者のように見られてしまう時があること。
(正確には、劇団員が「遅刻をするという事は、人の時間を奪うという事で、万引きと一緒だから、犯罪なんだよ。」と私に教えることによって、私の遅刻を無くそうと協力してくれていたから、そこから私は遅刻するたびに自分を犯罪者だと思っていたし、周りもそういう認識だったんじゃないかなという話)

故に「失敗は絶対にしてはいけない」という価値観が刷り込まれ、大切な仲間に迷惑をかけないよう常に常に意識しなくてはいけないこと。

劇団関係の大切な連絡は、本人が相手からの連絡に気付いてなかったとしても、ツイッターなどのSNSを発信する前に、最優先で返信しないと怒られてしまう時があること。

劇団の看板を背負っているため(有難いことに"看板女優"という肩書きも頂いていた。)、何をするにしても「劇団の看板に泥を塗ってはいけない」というプレッシャーを抱えていること。

そのため、SNSで自由に自分の発言が出来なくなってしまったり、自分のやりたい個人の活動を躊躇ってしまうこと。

劇団外の仕事では常に自分だけではなく、"ピヨレボの劇団員"として見られていることを、視野に入れなくてはいけないこと。

劇団全体のイメージやバランスにより、髪型ひとつ自分だけの意思では変えられない環境なこと。

代わりの効かない職業なため、どうしても心を優先して休めない期間が発生してしまうこと。

など、「集団でのルール」とそこから派生して作られていった「自分の中でのルール」がどんどん増えていき
劇団員として活動していくことがものすごく苦しくなってしまった。


誰かから見れば、これらのことは当たり前のことで大したことではないと、言われるかもしれないね。
実際にこれらを当たり前のようにこなせる人たちのほうが圧倒的大多数なわけだから。


けれど私にとっては、これらのことは「明日から宇宙飛行士になってくださいね」と言われているのと同じくらい
無理難題に感じる、苦しいことだったんだ。


その苦しみの大きな原因が、
脳に障がいのあるADHDだからだ、
と知った時に


「今までこんなにも当たり前のことを出来なかったのは全部"病気"だったからなんだ」


とめちゃめちゃショックを受けた。


今まで怒られてきた全ての出来事に納得してしまい、
自分の今までの失敗の数々が点となり、
それらを結ぶと「病気」という漢字になってるように見えて、


絶望しました。


(ここでベートベンの「運命」がかかる。)


そんな、"ショックを受けてしまってる
自分"を見たとき
「私は障がいを持っている人に対して偏見があったのか…!?」
と追い討ちをかけるように更にショックを受けたのも覚えてる。


ダブルショック。
一回だけでも傷跡が治るのにかなり時間のかかる強烈顔面パンチを、二回おみまいされた感じ。
伝わるかな。


その時
「ああ、私は人に迷惑をかけないことを避けては生きれない人間なんだ」
と思ってしまい


その思考はものすごい速さで
「私は、生きているだけで人に迷惑をかけている!」
「存在しているだけで迷惑をかけている!」
「息をしているだけで迷惑かけている!」
とういう考え方に変わり、
あっという間に飲み込まれて、


私はベッドから一歩も出れなくなりました。


20年間生きてきて感じたことのない大きさの「恐怖心」に支配されたのです。


外に出ること、そこで人に会うことでさえ、怖くなってしまったのは、生まれて初めての体験でした。


脳みその中は常に
「真っ暗闇の宇宙のなかに、たった1人の私が、目隠しをされた状態で放り投げられてしまった自分」
のような感覚が続いていたし、
もちろん劇団員にも一切会えなくなってしまいました。


そんな時、私からの連絡の異変に危機感を感じた友達が、一番に察して駆けつけてくれました。


ほぼ1日中(10分に1度くらいのペースで)過呼吸を起こしては「こわい…こわいこわいこわい!」と泣きわめく私を、
親友は何度も「大丈夫だよ、大丈夫だよ」と背中をさすってくれたし

具合が悪くなって立てなくなってしまった私を担いで支えてくれたり、

吐き気が止まらなくなり食べ物は一切喉を通らなかった私にわざわざ口まで食べ物を運んで食べさせてくれたり、

返信をしなくてはいけないラインが来るたびに体の震えが止まらなくなってしまう私の代わりに、私の言葉を文章に変換して、ラインの返信をしてくれた。


"正常に息を吸って、息を吐く"


それがこんなにも、こんなにも難しいことなんだと、痛感しました。
本当に、生きることだけで精一杯でした。


そんな私を支えてくれた親友には、今でも感謝という言葉では表しきれないほど、感謝をしています。


ありがとう。(×無量大数)


そして、わたしがこんな状態になってしまった時期はといいますと、
ピヨピヨレボリューションの本公演「疫病神」の稽古期間中でした。


「一刻も早く直さなくてはいけない」
そう思えば思うほど症状は悪化するばかりで、
でも大事な劇団の稽古を、心の病気で休みたいなんて言えるはずもなく


そんなことをずっと考えていたら、
インフルエンザにかかりました。


こんな表現はあまり良くないのかもしれないけれど、インフルエンザにかかったとわかった時、神様に感謝しました。


これで稽古を休める!!!!やっと休める理由ができた!!!!!!
それだけで泣いてしまうほど安心したことを、今でも覚えています。


しかし、一週間ほど休んでインフルエンザが治った後も、私は相変わらず家から出れませんでした。


こうして稽古を休んでる間にも、どんどん本番は迫ってきます。
何日間休んでも、その現実とは裏腹に、物理的にも、精神的にも、
追い詰められていきました。


その頃、実は私には、交際していた彼女がいました。
そして、その彼女からは精神的DVを受けていました。


同性で初めて心から好きになれた人だったし、とても大切な存在でしたが
徐々に共依存関係になり、精神的DVを受けていた
と自覚するのは、もう少し後のお話。


看病に来てくれた親友の見た目がボーイッシュだったため、
わたしの家で親友と彼女が鉢合わせてしまい、勘違いした彼女によって映画で見たことのあるザ・修羅場が完成しました。笑えない。


その後精神的DVを受けてズブズブの共依存関係になってる私は、
何も悪いことをしていないのに、泣きながら彼女の足にしがみついて謝ったり

死をちらつかせる脅迫的な発言をされたので、38度の熱の中、冬の朝方外に出て彼女の家まで行こうとしたら意識が朦朧として中華屋さんのベンチで倒れてたり

書き出すとキリがないくらい、苦しかったエピソードが溢れ出してきてしまいます。

この他にもたくさんの苦しいことがあって、今だから思い出せるけれど、当時はそれを一つもおかしいと思えないくらい、頭が麻痺していました。


麻痺させないと、生きていけなかった、の方が正しいのかも。


修羅場事件が原因で何を言ってもわたしの言葉は信じてもらえず、
ただでさえ限界な私に、彼女は永遠と否定的な言葉を吐き続けた。


聞きながら過呼吸になるわたしに、
これでもかと言葉を吐くのををやめない彼女を前にして
一瞬意識がなくなり


わたしは、無呼吸になった。


本当に息が出来なくなってしまったのだ。


息を吸おうとしても吸うことが出来ず、
そのままパタリと倒れてしまう私を横目に
彼女は私の一人暮らしの部屋をでていった。


その数分後、流石にヤバイと思ったのか、部屋に戻ってきて、人工呼吸をしてもらったが
息を吸えるのはほんの一時的だけで、
その後無呼吸状態に戻ってしまうを繰り返していた。


「あー、私死ぬんだな。」
と初めて実感した。
なんなら、死んでしまってもいいとさえ、思っていたかもしれない。


よく、リストカットや首を吊ったり電車に飛び込んだり、いろんな方法で自殺した人の話を聞いたことがあるけれど
こんな風に、ショックのあまりに体が拒絶反応を起こして死ぬこともできるんだな、と思ったくらい。


本当にあの世とこの世を行ったり来たりしていたので、一刻も早く救急車を呼んでほしい、と仕切りに思っていたその次の瞬間、
無呼吸になったわたしを見て彼女は


「理紗をこんな風にさせてしまったのは全部わたしのせいだね。わたしがいなくなるね。」


と呟き大きな窓を開けて、4階の私の部屋の窓から、飛び降りようとした。


これが火事場の馬鹿力というんでしょうね。
それを見た私は、最後の力を振り絞って彼女を窓から引き剥がし
「あんた何考えてるの!?」
と怒鳴った気がするけど、ぶっちゃけその後の記憶がほとんどない。。。


その時は怒るとか悲しいとかの感情よりも、
「私は死ぬことでさえ許されないのか」
という気持ちでいっぱいになったことだけは覚えている。


彼女の言い分としては、こうすれば理紗の無呼吸が治るとおもったから、とは言っていたけれど
私が止められなかったらどうなっていたんだろうと思うと、
今でも怖くて仕方ない。


もしかしたら、飛び降りようとする彼女をみて、私は無呼吸を通り過ぎてショックで失神しそのままあの世に行ってたかもしれないし、
止められずに彼女が死んでしまっていたかもしれない。


そんな出来事があってから、私は恐怖に支配されていき、
幼少期から得意分野:自己否定で
「全ての原因は、私が重度の鬱病状態になって家から出られずに、稽古に行けないからだ!全部私が悪いんだ!」という解決の仕方をしだした。


なるほど、人前で感情を出してしまうと大変なことになるんだな、、
という大間違いな結論に辿り着き、
無意識のうちに自分で自分にマインドコントロールをかけることに成功していた。


そもそも役者という仕事は、知らない誰かになりきったり、知らない世界に入り込んだり、物語を信じたりするところから始まるというのもあって
私にとって自分自身へのマインドコントロールは、そう難しくなかった。


こうして、ただでさえ心が治ってない状態のまま無理矢理稽古に行ったわたしは
作品と、貰った役柄に没頭することだけが、唯一の逃避になっていった。


あの時期の私は、まさにステージの上でも、ステージの下でもキマっていた気がする。
正直稽古から本番期間までのほとんど記憶がない。
でも、役に没頭しないと、作品の中で生きないと、そうでもしないと生きるということが、やってられなかった。
ギリギリだった。


ただでさえ精神的DVにより、マインドコントロールを受けている私に
自分自身でもマインドコントロールを繰り返すわけだから

心が限界を超えていても
それを麻痺させて→無理をする
がもはや習慣になってしまい、

しっかりと治療をする時間をとれないまま、ここまで来てしまいました。




ご飯のメインディッシュが続くような、濃いめの内容の連続になってしまってごめんね。

ここらでトイレ休憩でも、水分補給でもしておくれ。





そんな風に生きていたものだから当然二度目の、お先真っ暗闇の宇宙放り込まれタイムはやってくるわけです。
前よりももっと大きくなって。


それが、ピヨラボ公演「SHOOTINGPAIN」の稽古3回目を終えたあたりでした。


シャー芯がポキンと折れるみたいに簡単に、取り返しのつかないレベルで心がぶっ壊れてしまったのを自覚しました。


この世には
「病気や障がいは治せる」という考え方の人もいれば、
「病気や障がいは治せない」という考え方の人もいます。


これに関して考えたときわたしは
どっちの考え方で生きた方が「自分の心が苦しくないのか」つまりは、


「病気や障がいは治せる」と思った方が生きやすいのか
「病気や障がいは治せない」と思った方が生きやすさに繋がるのか


なのではないかなと思いました。


そうなったときに
わたしは今まで心の病気も脳の障がいもまとめて、「治したい!治すべきだ!治せ!」と自分で自分を恐喝してきたことに気づきました。


さて、わたしは心の病気や、脳の障がいについて、どうやって捉えたら心が楽になるんだろう。


その時
「心の病気は治るけど、脳の障がいは治らない」
と考えることが、わたしは一番希望を持てるんだな、という一つの結論がでました。


実際、いろんな人の協力もあって、障がいや病気によって人に迷惑をかけてしまうことを、防げるようになった瞬間もありました。

失敗を繰り返さないために、対策をいくつも試して、ベストなものを無理矢理自分に癖付ける、という方法です。

しかし癖付いても、何故か嬉しいという感情よりも
"苦しい気持ちには変わりがない"
という感情が自分の中には常にありました。


結局、癖付けることにより欠点が治っても治らなくても、
そもそも自分の迷惑をかけてしまう部分を「欠点だ」と思ってしまってる時点で、苦しかったんです。


そこでわたしは
自分が欠点だと思う部分を治さなくてはいけない環境
その欠点を治せと言われる環境
治さなくては共存できない環境
に身を置くことを辞めようと、決断しました。
ようやく、決断することができました。


こうして私は
3年間お世話になっていた劇団ピヨピヨレボリューションを辞め、
精神的DVにより離れられなかった彼女とも断絶することができました。


私にとっては、ものすごく覚悟の必要なことだったので、決断するのに1年以上もの時間はかかりましたが、
今の選択に後悔はありません。


ピヨピヨレボリューションでは約3年間、数えきれないほどの事を学ばせてもらいました。
溢れるほどの愛を与えてもらいました。

かつての私にとっては素晴らしい環境であり、大好きな仲間と一緒に最高の作品を作れる、かけがえのないホームでした。

本当に「ありがとう」という言葉を言っても言っても、伝え尽くせないです。

その存在に、何度も何度も
支えられてきたこと、 学ばせてもらったこと、強くさせてもらったこと、救われてきたことは、事実です。


しかし、とっても大切が故に自己犠牲を働きすぎてしまったのも、事実です。


自分の傷に気づかないようにすることでやり過ごしたり、
その傷を忘れることでその場をしのいだり、
恐怖心を隣に置いては無理矢理心に鞭を打ったり、


そうやって立て続けに心の傷を見て見ぬ振りをし続けたことにより、
自分を大切にしなかったツケが回ってきてしまったようです。


もう誰かを大切にすることによって、自分を削ったり傷つけるようなやり方はやめて、

自分を大切にすることによって、誰かのことも大切にできるような人になりたいと強く思いました。


これからは
「自分を大切にするために」
そして、
「自分をの人生を生きるために」
どうすればよいのか焦らずにゆっくりと考えていきたいです。


「誰かのために」生きるというのは
同時に
「誰かのせいに」して生きるということだからね。


わたしという人間の価値は、わたしが決めていいんだよ。
と日々言い聞かせております。





ちなみに、ここにきてやっと、
さっきからわたしが仕切りに恋人のことを「彼女」という書き方をしてたことについて触れたいと思います。


タイトルにも"カミングアウト"と書いてあるため、薄々お察しの方もいると思いますが
私は、パンセクシャルです。


私の口から説明するよりも
もっとわかりやすく説明してくれる記事がネットには沢山溢れているので
「パンセクシャルってなんだろう…」
と少しでも興味を持った方がいたら、そういう記事を読んでみてください。




簡単に説明すると、
バイセクシャルとはちょっと違くって

バイセクシャルは、
男性と女性の両方が恋愛対象や性的対象になる人のこと
つまりは【両性愛者】のことなんだけれど

パンセクシャルは、
性別や無性別関係なく、人間であれば誰でも恋愛対象や性的対象になる人のこと
つまりは【全性愛者】であり【人類愛者】である人のことを指します。


私は、好きになった人がたまたま女だったり、たまたま男だったり、
そのどちらでもない性別だったり、そのどちらの性別も持ってる人だったりするだけ、
という考え方なんだけど


上手く伝えようすればするだけ難しくなっちゃう気がするから、
そういう名前の人たちが世の中にはいるんだ~程度で、今はいい気もするな。


最近私の周りでもカミングアウトする人たちが増えているけれど、
わたしはカミングアウト大推薦派!大賛成派!という考えではあまりなくて

自分のセクシュアリティについては
「伝えるべきか、伝えないべき」かではなく
それ以上に本人が
「伝えたいか、伝えたくないか」が、大切なんじゃないかと思っているんだ。


そんな中自分のセクシュアリティを
「伝えたいけど、伝えらなれない」という気持ちを抱えて苦しんでいる人は今でもたくさん、たくさんいるのも知っている。
私も少し前まではそのうちの一人だったから。


けれどわたしは、勇気を出して親友や母親にカミングアウトしてから、とても生きやすくなった。


簡単に理解してもらえることではないとわかっているからこそ話せなかったけれど
理解してもらえなくてもいい、これが私だ!
と思えたときに初めて話すことができた。


その時自分はこういう人なんだよ、という一部分を大切な人に「知ってもらえる」ことって
こんなにも気持ちが楽になるんだなということを実感した。


他人に対して「理解してほしい」という言葉は、相手に強要しているようで私はあまり好きではなかったりする。


なぜなら、他人のことを本当の意味で理解することなんて不可能だからだ。


だからこそ、理解はしなくていいから「知っていてほしい」と思うことはよくある。


突然、見たこともない得体の知れない真っ白な生物が現れたら、怖くて猛スピードで逃げ出してしまうけれど

本で見たり、人から聞いてある程度知っていたら「これが角の生えた馬…ユニコーンか…?」ときっと驚きはするけど、猛スピードで逃げたしはしないと思う。


このように
「知らない」と「知っている」では
こんなにも相手の捉え方が違う。

そして後者であればあるほど
「私はユニコーンじゃないからわからないけれど、ユニコーンという存在がいることは知っておくね」という捉え方ができたりする。


人はそれぞれ、なにもかもが違うということ。
そして、それでいいんだということ。


知らないことによって
差をつけて区別する「差別」をするんじゃなくて、

知ることによって
差をつけずに区別できる関係性が築けたらいいよなと思う。


異性愛者の人たちが、異性だからって理由で異性全員が恋愛対象になるわけではないのと一緒で、
パンセクシャルだからといって、人間なら誰でもいいのかって話ではないんだよとか

セクシュアリティをカミングアウトしたら一緒に温泉とか入るときに意識されちゃうのかなとか

「あいつゲイらしいよ!」と面白いネタのような感覚でセクシュアリティが話題に上がると胸が苦しくなったり

そういうセクシュアリティの人たちを「気持ち悪い」と言ってる人たちを目の当たりにして傷ついたり

変に誤解されたらどうしようと思えば思うほど、言えずに口を閉ざしてしまっていた。


そんな中わたしがカミングアウトしようと思ったのは
いろんな経験を経て「伝えたい」と思えるようになったから。


カミングアウトしずらい世の中を変えたい!
とか
カミングアウトが誰かの勇気になると思って…
なんていう耳障りのいい理由じゃなくって

こうやって世の中に発信することによって
「自分は自分のことを恥じずに伝えることが出来たぞ!」
とこの決断と行動を、自信に変えたいと思ったんだ。
誰かに認めてもらうんじゃなくて、自分で自分を認めるために。


自分が、変わるために。


正直、ここに書いてある全てのことを発表するのには、とてつもなく勇気がいった。
もっと早くブログを更新したいのに、出来なくって、書いたり消したりを繰り返していた。


だけど、今までたくさん自分に嘘をついて生きてきたからこそ、
今度はもう自分に嘘をついて生きたくないと思えた。


世界中の人たち全員に嫌われても、私が私であることに胸を張れればそれでいいと、私が私のことを好きでいてあげれればそれでいいと、思えた。


私のバイセクシャルの友達が、
"最近自分には性欲がない"というのを
「最近私、アセクシャルなんだよねー」と表現していたのを見て、

他の友達はその言い方は良くないんじゃない?などと注意をしてたけど

わたしは、その表現いいなぁと思った。


今日はこんな洋服を着たいな
今日はこんな所に行きたいな
今日はこんなご飯を食べたいな
と日々思考が変わっていくみたいに


今日は女の子と一緒にいたいな
今日は男の子と眠りたいな
今日は男とか女とか性別の枠にハマらない自分でいたいな
と、セクシュアリティだってもっと柔軟に変わっていって良いのだと思う。


「自分はこういう人だ!」
と明確化することは、
同時に自分が何者なのかハッキリとしていてとても安心する。

私もカミングアウトしてる時点で、自分を明確化しているしね!


けれど同時に
「自分はこういう人だから!」
と"自分"という名の枠にハマってしまって苦しい時期もあった。


好きな自分でいることは
"自分"という枠にハマることではなく

変わっていく"自分"をその都度その瞬間、認めてあげることだと思う。

枠にハマるのではなく、その時の自分に合う枠に、ころころと変えていくのだ。


人間は「感情」を持っている時点で一貫性のない生き物だ。

常に忙しく感情が揺れ動いて
楽しい!と思ってたのに1秒後には寂しい…って思ってたり、ずーっと同じ感情でいることなんてない。


だから最近の私は、
セクシュアリティも感情に近い物だと扱うようにしている。


私が今まで異性愛者だったのが
実はパンセクシャルだったと気づいたみたいに
明日になったら新たにセクシュアリティだって変わってるかもしれない。


そうやって、新しい自分に出会えるかもしれない可能性に、常にワクワクしていたい。


だからパンセクシャルだと公言していながらも、最終的に

私は「東理紗」という名前の性で
私という人間そのものが
オリジナルの性別なんだな!
と思うようにしてる。


名前や国籍だって変えられないものだと思っていたけれど
今では変えられる時代になっている。

顔や性別だって変えられないものだと思っていたけれど
今では変えられる時代になっている。


もちろんその全ては簡単なことではないし、精神的にも身体的にも金銭的にも、とてつもない労力を使うことはなんとなくだけど知っている。


ただ、変えようと思えば、変えられる世の中にシフトチェンジしているからこそ
変わらないものはロボットやAIや機械で、
変わり続けられるのが、人間なんだと思う。


そして、それが人間として生まれた特権だと思うようになった。




渋谷を拠点とした巫女のアイドルから始まり、
セルフプロデュースで2年で3000人をも集められる個性派アイドルになり、
劇団の看板女優を背負い主演続きの舞台を経験し、
性別にとらわれない恋愛を経験し、


さて、この次の私は、どんな私になるのだろうか。


私でさえ想像がつかない!
でも、今はそんな自分でいることがとてつもなく楽しい。


正直まだ精神的DVの後遺症で、発作や過呼吸を起こしてしまったり、
フラッシュバックが起きてパニックになったりすることはある。


先日のまおさんとのトークイベント「まおさんタイマン#1」の時も、覚悟はしてたものの、物販の時のファンの人の一言にものすごい傷ついちゃって

終演後楽屋で過呼吸を起こして、終電間際まで魂が抜けたみたいに動けなくなっちゃったりもした。


まだまだ心の病気も治し途中だし
脳の障がいとも付き合い途中だけど


それでも私は、
ステージの上に立つことが
なによりも好きみたいだ。


日常的に自分を表現しずらかったからこそステージの上だけが嘘偽りない私でいれる場所だったし
気付けば、誰よりも何よりも、手放せないものになっていた。


今はこのステージに対する私の執着のような、執念のような、もはや愛情のような、確固たる意志に救われているような気がします。


時間はかかってしまうかもしれないし、
まだ「完全に復活しました!」とは言い切れないけれど


少しずつでも、また大好きなステージに戻ってこれるようになりたいな。


そのために今は、一旦ステージから離れて、
家で作詞作曲をしたり、宮古島に旅行に行ってみたり、髪をバッサリ切ってみたり、自分のためだけに時間を使うということを実践しています。


そんなわけで、
長くなが~くNAGAKUなってしまったけれど、


今まで
ピヨピヨレボリューションの東理紗
を応援し、愛してくださった全ての皆様、
3年間、ありがとうございました。


そして、今まで共に歩き、共に支え合い、共に戦ってきた、ピヨピヨレボリューションとピヨピヨ×××の皆様、

3年間、お世話になりました。

本当にありがとうございました。



これからも輝き続けるピヨピヨレボリューションを、
どうぞ宜しくお願い致します。




またいつか、ライブでお会い出来る日を目指して!




東理紗

P.S.
新曲【カチ価値カチ】

暗闇 関連ツイート

いつしか世界は終わり、そこには暗闇が広がるんだよなあ・・・
@a_fs さすがは伝説のオニオンナイト(暗闇の雲 談)やで…!
カラーの御髪でしたけれど可愛かったですし似合いますしなんだったら若いっすね32歳とは思えませぬでしたよ。24歳くらい。「暗闇の世界へ行こう」とか言い出した時のエロさと言ったらない。しゅき!!!ってなった。友達の肩を叩くしめさば。ごめんね。(謝罪)
真っ暗闇だけどFPSやめられないんだけどwwwwwwwwww

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